京都の怖い由来を持つ地名13箇所を一覧で解説!恐ろしい歴史が・・

歴史があり、華やかな印象のある京都ですが、怖い由来の土地も多く存在します。

かつては遺体を放置する風葬地だった、処刑場があった、妖怪が棲む魔界だった・・・今では想像もつきませんが、恐ろしい土地がたくさんあります。

ここでは、怖い由来のある地名を13箇所まとめて紹介します。

ぜひ、お楽しみ程度にご覧ください。

1:六波羅

現在は京都市東山区の一部ですが、鎌倉以前は鴨川東岸の五条から七条に広がる一帯を六波羅と呼んでいました。

当時の六波羅は鳥辺野と呼ばれる葬送地の入口にあたり、“あの世”と”この世”の境とされ、風葬された人骨がゴロゴロ転がっていたことから「髑髏町」と呼ばれる地域がありましたが、「髑髏町」という名称はあまりに不吉であることから、江戸時代に現在の「轆轤(ろくろ)町」へと改称されたと伝えられています。

六波羅の「六」は霊の古語にあたり、すなわち、六波羅は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・冥界の6つの世界が集まる場所だと言われ、六波羅の片隅には「六道之辻」と書かれた石碑が現在も残されています。

2:衣笠

衣笠には、金閣寺、等持院、大文字山など数々の観光地がありますが、その地には怖い歴史があります。

平安時代、衣笠では遺体がそのまま放置され、衣笠山の山麓一帯は風葬地となっており、藤原道長は衣笠山で憤死した人の怨霊を恐れて御霊会を催したと言われています。

六波羅と同様、衣笠はかつての風葬地で多くの遺体が眠っている地です。

3:千本通

千本通は北区から伏見区まで京都市街を南北に繋ぐ道路です。

千本という名称は、船岡山西麓への道中に千本の卒塔婆を建てて供養したことに由来しています。

船岡山は、かつて戦に敗れた者の処刑場であり、船岡山の西麓は処刑された者が風葬された地で、千本通は夜な夜な死者を運ぶ道として利用されていました。

千本の卒塔婆が建っている様子を想像すると、寒気がしてきませんか?

4:蹴上

滋賀県と京都市街をつなぐ三条通の坂道に位置し、京都市動物園・京都市美術館・平安神宮などが立ち並ぶ岡崎にも近い地下鉄「蹴上駅」があります。

蹴上という地名には、二つの由来があると言われていますが、どちらも恐ろしい逸話があります。

一つは、かつて粟田口刑場という全国でも一番の規模を誇った刑場があり、そこでは1万5千にもの人が処刑されたと言われていますが、受刑を拒む罪人を“蹴り上げ”ながら刑場まで連れて行ったことに由来する説。

もう一つは、奥州へと向かっていた源義経が、正面からやって来た10人の武士とすれ違った際、乗っていた馬が跳ね上げた泥水が義経の衣類にかかり、憤怒した義経が9人の従者を殺したうえ、主人の耳鼻を切り落としたという逸話から、泥水が“跳ね上げる=蹴上げる”と伝わったという説です。

9人を斬り殺した後、山科の小さな池で刀を洗ったところ、池が赤く染まったことから付けられた「御陵血洗町」という町名が現在も残っています。

何かと美化される源義経ですが、なかなか理不尽でエグイことをしてるんですね。。

5:新京極

若者を中心に多く人で賑わう繁華街ですが、かつては妖怪や怨霊が棲む魔界として恐れられた地です。

新京極通の西隣を走る寺町通は平安時代、京極通と呼ばれ、「京都の極み」の名のとおり、平安京の東端に位置していました。

この京極通より東側は魔界とされ、石川五右衛門が釜ゆでにされた三条河原も京極通の外側にあり、鴨川では多くの罪人が処刑されたと伝えられています。

現在の新京極通は、東京遷都の後、衰えてしまった街の活気を取り戻すために新設された道路で、寺町通の東に位置している、つまり、当時の魔界を走っている通りなのです。

6:西京極

東の魔界との境が京極通なら、西の魔界との境は西京極

現在の阪急「西京極駅」がある辺りが、平安京の西端だったと伝えられています。

西京極は京都のスポーツの町で、京都パープルサンガの本拠地「西京極スタジアム」の他、プロ野球の試合も行われる「わかさスタジアム京都」もありますが、もしかすると、私たちは当時の魔界で熱狂しているのかもしれません。

7:西院

右京区の繁華街で、一般的に「さいいん」と呼ばれますが、正式な呼称は「さい」です。

西院は魔界との境とされた西京極の東隣に位置しており、つまり、三途の川の河原であると信じられていました。

親より先に死んだ子供たちが三途の川で積み上げるとされる石を“賽(さい)”と呼ぶことから、西院と呼ばれるようになったと伝えられています。

その証拠に、阪急「西院駅」のすぐ向かいにある高山寺には、「西院之河原 旧跡」と書かれた石碑が残されています。

8:赤池

京都南インターチェンジから少し南に下ったところにある地域です。

赤池の地名の由来は平安時代まで遡ります。

平安時代の武士・渡辺渡の妻であった袈裟御前は北面武士の遠藤盛遠と恋に落ち、袈裟御前は盛遠に夫を殺してほしいと依頼しますが、最終的に夫を裏切ることができなかった袈裟御前は身代わりに自身の首を討たれます。

袈裟御前の首を池で洗った際、池の水が真っ赤に染まったことから、この池のあった地域を「赤池」と呼ぶようになりました。

その後、鳥羽伏見の戦いの際には、この池で血のついた刀を洗ったところ、池の水が赤く染まったという逸話も残されています。

現在、池は残っていませんが、上記の伝説から今でも赤池とよばれているのです。

9:天使突抜

京都人から恨みを買った豊臣秀吉に纏わる地名です。

京都市下京区の松原から南に位置するこの町は、かつて民家が立ち並び、さらに、人々から「お天使様」と呼ばれ親しまれた五条天神という神社がありました。

しかし、秀吉はこの五条天神を潰して新たに道路の築造を命じます。

地元の人々は、秀吉の横暴な都市計画に皮肉の意味を込めて、”天使突抜”という地名を残したのです。

10:化野(あだしの)

京都市右京区嵯峨野に位置するかつての風葬地

化野は「無常の野」という意味があり、人の世の儚さの象徴として用いられました。

野ざらしにされた無数の遺体の霊を弔うために創建された化野念仏寺には、約8,000もの無縁仏を祀る石仏があります。

化野念仏寺では、現在も毎年8月23・24日、石仏にろうそくを灯し、無縁仏を供養する「千灯供養」が行われています。

11:ホッパラ町

山科区に位置する、京都市内では珍しいカタカナの町名です。

ホッパラ町は蹴上でも登場した粟田口刑場と近く、処刑された数多の遺体が放置されていたと伝えられています。

ホッパラ町の由来には2つの説があり、一つは、“原っぱ”に穴を“掘って”遺体を埋めていたことから、“掘原町”と呼ばれた説。

もう一つは、“ほっぽらかす”ように遺体が放置されたことに由来する説です。

どちらにせよ、無残に処理された遺体から由来していることに違いはありません。

カタカナというのが、色々と想像させて怖さを増していますね。

12:帷子ノ辻(かたびらのつじ)

京都でも難読の地名として話のネタになる地域です。

帷子ノ辻の由来は、嵯峨天皇の妻で絶世の美女と言われた檀林皇后が主役となります。

檀林皇后は、この世は諸行無常であるという禅の教えを自らの身体で説くため、「自分の死後、亡骸は埋葬せずどこかの辻に放置し、例え動物に食い荒らされ無残な姿になろうとも哀れに思うな」という遺言を残しました。

檀林皇后の死後、遺言のとおり、亡骸は帷子(死者に着せる着物)を着せられてに放置されますが、月日が経つにつれて腐敗し、鳥獣に食い散らされ、美しかった檀林皇后の姿は見るも無残な姿に変貌します。

その強烈な姿を見た人々は、世の儚さ・無常さを知ったそうです。

檀林皇后の亡骸が腐敗していく様子を描いた九相図は、現在、京都市東山区の西福寺に残されています。

13:六条河原

現在の五条通から七条通の間の鴨川河原が六条河原と呼ばれていた地域です。

かつてこの地域には刑場があり、保元の乱における源為義、本能寺の変における斎藤利三、関ヶ原の戦いにおける石田三成、大坂の役における長宗我部元親など、古くから数多くの著名な人物が処刑されています。

また、江戸時代の第2代将軍・徳川秀忠の時代には、キリシタン52人を火あぶりにて処刑した「京都の大殉教」の地ともなりました。

現在、鴨川に架かる正面橋のたもとには、「キリシタン殉教之地」と書かれた石碑が残されています。

 

あとがき

京都の怖い由来の地名をまとめて紹介しました。

やっぱり歴史が古いだけに、いわくつきの土地が多いですね。

ぜひ、ディープな京都の世界にハマってみてはいかがでしょうか?

1件のコメント

  • みほ

    六条河原で処刑されたのは長宗我部元親ではなく、長宗我部盛親ですよ。
    長宗我部が好きでちょっと気になったので、失礼しました。

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